後悔は、先に経ってしまいがちなモノ。かも(i like "Homu-Homu")
一度でいいから言ってみたい。
「いやぁ、うちの家内はホントに愚妻でねぇ・・・」
全国の奥さま、または性別が女性の方。またはその連れ合いの方。
おはようございます。私です。
「自分で言うのは良くても、人様に言われるとむかっ腹が立つ」
そのようなword&case、皆さまも身に覚えが有るでしょうか?
老若男女問わず、または謙遜と自虐がときに美意識なJapanの国民性として。
「うん、じゃあ言わなきゃいいのに」
私は思います。
だって、そういうの聞くの返すの、めんどくさい。
「いやいや、そんなことないんじゃないんですかー(笑)」
「連れ合いさんのこと、そう言えるってことは、そういうことでしょー(笑)」
的にね、そりゃ会話ですからcaseに応じますけど、
場合によっては虫唾が走ります。相手というより、無難に返す己に。
「人に言われたくないことは、てめえ自身に(言うの)も控えてみたら?」
言葉を鋭角にすれば、上記とも換言出来ます。
それはときにネガティブ思考で、生きることに迷子気味の方へ。
だってさ、人間なんて、それは孤独です。
何かあったときに、己を守れるのは、究極的にはてめえ自身。
もちろん、会話の流れや、その方の癖、
ちょっとくらい愚痴りたい昼も夜も、ありますよねそれは。
だけどさ、その部分的な愚かさに、気付かず習慣付いていると、
(発言者にとって)喜ばしい何かを導く可能性は、確率は、下がることも有ります。
私はバカだとか太ってるとかメンヘラだとか、
年がいってるとか世間や権力に不満ばかりだとか・・・
もちろん、誰かに伝えることで楽になる。
そんな千夜もあるでしょう。
だけどさ、同じセリフを誰かに言われたくないならさ、
(もう少し)
己自身や、その方を大事に思ってくれる方のこと、考えてみてもいいんじゃない?
思います。それはもう。
というのもね、
私だって、そら傍にどなたかがいてくれた生活は或る程度の期間は経験済みで、
人と人の距離が密接であれば、楽しいことも不快なことも、諸々あります互いに。
だからさ、
やっぱり、後悔していることがあるのです。
忘れたふりをして、感じないように心を凍らせて、あえて一人でいることに依って。
そうして隠しているだけなのかもしれない。
今、例によって適当に書いていて、思いました。
なんで、あのとき一言、伝えられなかったのかな
どうして、言葉だけではなく、形として大事にし続けられなかったのかな
悔やんでも時既に遅い。
それが後悔であるのなら、そういうことになるのでしょう。
(中略)
だからさ、私は現在のこのザマで、
ときに全世界が敵のように、もしくは至らない人間ばかりに、思えてしまうのです。
んなーこたーない。
いや、わかってるんですけどね。
だけどさ、ふいに飲み込まれる日も、結局あるのです。
ただ、それでも私は、
かつては人様に大事に想って頂いた経験が、生意気にも幾つかございますし、
だからこそ、純度maxでdarksideに陥ることはありません。代わりに己に出るだけで。
話は飛躍しますが、
いわゆる、世間のnewsになってしまう方の一部は、
人様の愛情?を受けたことがないor受け入れられなかった結果、かなって思います。
もちろん、彼ら彼女らが起こした行動は、許されるべきことでは無い。
追って罪を償おうが、誰かの心に残した傷は、二度と消えることはないcaseもある。
だから、許されない部分って、当然あるとは思うのです。
だけどさ、当事者以外、直接被害を被った人、それに準ずる経験者以外の人間が、
彼ら彼女らを全力で批判することは、どこかが違うような、気もします。
「事件は歪んだ社会がもたらしたモノ」
だとかなんとか、思考停止的なことを言いたいわけではなく、
性善説や性悪説に特化しているわけでもなく、
本文をまとめるとするならば、
「いろんな人が、いるものですよね」
くらいなことです。
説明不足、言葉足らずで、もし不快な思いをされた方がいたら、ごめんね。
悪気ないし、たぶん、説明足せば、誤解は解けることもあるかもしれません。
私、敵を作らないことは、得意なので=責任回避に特化故
逆に言えば、敵を作ることも、簡単に出来るかもしれません
だからさ、darksideに落ちそうな手前で、
本エントリーを適当に、記述してみました。
”例によってfictilonですし、私の意見とは異なります。書かされたものです”
だとかなんとか、一行足してしまえば、大体は許されるのかな?
だとかなんとか、ひねくれななめはまっすぐに、せんとそら誰も近寄らんわ。
とかなんとか、思いますmyself。
別にさ、今日すべてを終わらせたいわけでも、
誰彼とも距離をおいて、深海な圧力に依り、己にどっぷり酔いたいわけでもない。
自分の本心を見失いがちな人間なりに、
上記二行は、たまに忘れても、確実に在るモノのような気がします。
なんだかんだで、
ご家族やそれに準ずる大切な人や友人がいる方は、
ぜひ、たまには、形や言葉として、大事にしてあげて下さいね。
もし、誰もいなくなったら、誰もいなくなってから、けっこう寂しいですよ。
または、
生まれ持って、家族というものを持たず、
逆に、憎悪や敵視する対象すら、持つことを許されなかったcaseも、
それなりに、少なくとも、人様には勧められません。
うん、色々思うところがあって、だらだら書きました。
悲しいことが有ると、開く皮の冊子。そんなの無いからその代わり。
以上です、編集長。
それでは皆さま、ほなまたです。
CU !!!