村上春樹さんと発達障害に触れてみたら、己と家族といつまですぐれぬ体のこと書いて、眠くなった日記。
ここ二つの日記。
己の無力さを嘆き、続いて別の力は有ることを誇示するかのよう。
すごく、醒めた目で、他人事のように思います。
ときに、村上春樹さんがノーベル賞を取れない理由。
「現代に溢れる孤独や嘆き、喪失、絶望失望燻りを描くことはいっちょ前であるが、
ますます一向にその救いを描くことが出来ないから。ただ、己に酔うだけの作家。」
という、論評を拝見しました。
昨日か、拾った新聞に、載っておりました。
春樹さんの作品は、数ページしかめくったことがなく、要は知らないのですが、
なぜかその批評が気になったのは、もしくは己のことを言われている感が、したかも。
ついでに彼=春樹さん。
イチローさんや棋士さんたちと並べて、発達障害の人、と言う専門家も幾人いて、
私もその傾向はある人間なので、なんとなく知らないなりに、気にはなっていました。
発達障害、という文字列の、誤解を生むだろうニュアンスは、今回ははしょります。
端的に言えば、(統計的に)脳typeの特性故に、支援が必要な人を発達障害、と扱い、
脳type(ASD、ADHD等)が見受けられるものの、それによって困っていなければ、
もちろん障害は無いので、発達障害。という言葉は、彼らにはあてはまらないでしょう。
ASD、アスペルガー傾向を所持する、成功者。という方が、私は、しっくりくる。
専門家さんは一くくりに述べる方も多いので、戸惑っている”当事者”も散見する。
障害と名付ければ、公的を含む支援を受けることが出来ますが、
逆に、哀しいかな偏見や差別を、持たれるものです。自他ともに、ですね。
言葉とは恐ろしいものです。
例えば、発し手と受け取り手に依って、同じ言葉のその解釈は実は異なるから、
そして、どうしても通じ合えないcaseもあるから、どうしてもどこかで角は立つ。
ならば私は、そっと、また、何も喋らず、不満も言わない。
何も書かず、存在を消し、そっと深海に戻り、たまにアンコウ類に会釈する。
極論かのようですが、そのような、一見安全な生活に、正直戻りたくあります。
何かしらがあったわけではなく、むしろ、喜ばしいことは、多いです。
ただ単に疲れがたまっているか、もしくは喜ばしいことになれていないか。
お恥ずかしながら、私の幼少期は、”味方”が一切おりませんでした。
換言すれば、大事にしてもらった経験は、身近には一切、ありません。
今、振り返れば、彼と彼女、または姉。
戸籍上の家族は、要は己がかわいいだけだったのかと、思います。
家庭を守る、子どもを育てている。育て終えた。
ということを主張するだけで、こちらの身になって、話を聞いてもらった覚えは、
一切無いです。わかりやすい暴力とは異なる、また一つのDV、かもしれません。
また、それを責めることが、私は出来なかったので、
それは実際に、中近東での戦争に依る直接被害と、良いところも多い親だったので、憎しみきれなかった。
依って、たぶん、それなりに親、またはそれに準ずる人に大事にされてきた方とは、
また、本気でご家族が嫌い!だから縁切る切ったyo! な方とは、
通じ合えない部分は、必ずあるような気が致します。
端的に言えば、刷り込まれた宗派が異なります。通じる方も幾人はいるでしょう。
だからどうした、という話ではありますが、
私も、成人を迎える手前からは、ようやく家族に準ずる方がいたこともあって、おそらく、物心付く以前から、何より渇望していたものが、満たされていた頃も、ありました。計すれば10年強に、なるのかな?
なぜ失って、またそして失ってしまった理由。
これこそ、私、まともに考えようとしていません。
だからこそ、何かに追われるように行動をして、ときに誰かの力に成りたくて、
要は、意識を他所に持っていきたいという、短絡思考な気がします。
先日の女性の話であれば、私なりに償いたいけどもう遅い、
そんな感情のはけ口だったのかもしれません。やっぱり思い出して、しまうからね。
私、たまに書くように、体がけっこう辛い感じなのですが、
それはおそらく精神性も大きくて、逆に、良くなりたい!と思えない夜が多いです。
発症は思春期を終えた辺りからで、20は半ばでちょいと怪我して、大きく上塗りされて。
また、昨年大きく失って、それからけっこう、アレです。特にこの二カ月がひどい。
ただ、平たく申し上げれば、
「安心できる人(場所)」、「素に近い姿でも、私の存在を許されそうな人(場所)」
においては、そのような時間では、
痛みや辛さは、幾分か、逆に0だったり、します。
だから家に帰るとしんどいし、家を出て0から始める体が無いことが問題だし、
家において自室において、「休めない」ので、余計に治る気配はない。
この2カ月でちょっと体調ひどいのは、変化があった、からでしょう。
私にとって、実の家族という存在群は、多数と同じハリボテでしかなかった。
しかし私にも問題はあったし、かと言って、けして理解しあえることは、無い。
と、今さら、思い知ることが、ありました。
どうにかなるかなって、どっかで期待してたのが、崩れた感じですね。
だから私、他所を求めるように、色々行動派になってる理由の一つです。
単一や、関係性の深さはrisky故、あちらこちらに、場所を作っています。
多数の方において、どうやら私は、あまり前例の無い人間のようです。
発言や振る舞い?発想やらなんか全部らしい。で、面白がってくれる人、意外とおる。
それが慣れなくて、こんなにも自由に振舞っている己は初めてで、
だからこそ、33にもなって、やっぱりどこか落ち着かない。
あと、この家と家族、やはり好きじゃない。
好きなフリ、済んだことにしてるフリ、はもう無理。と、体が言ってる。
さすがにきつい。
うっかり、人類すべてが、嫌いかと、錯覚しがちです。
ほぼほぼの夜は、疲れがたまってしまっているとね。
この体、治るかわからないんですけど、辛いなら辛いと表現したることも、
ときに必要かなと、醒めて思って、書いています。
なんらかの感情の発散が出来なくて、代わりに体に出てしまっている。
神経や免疫系の病によくあるパターンは、病名のつかない私も、かもです。
元気になりたい。
って、毎日、いつもだいたい、思えるようになりたい。
無茶な願いは悲しくなるから、だから、なんか、本気で思えない。
いくじなしですよね。
理想の日々、いや一日って、実は容易に思い付くし、
でもまたもし、失うことは、怖いのかもな。怖いよね、うん。
私、3.11や、大好きだったbandの方が亡くなったとき、
振り返れば、調子を長く崩す、そしてまだ戻らない、契機の一つずつでした。
日本語おかしいんですけど、自分では、わかります。
けっこう、影響されやすいタイプで、要は人の心、投影出来ればあるんだな。
そんなことを思っています。
実像は無いけれど、投影は得意です。
だからそれは恋愛や家族的では無くても、満たされる術は、ありそうです。
だからなんだか、大丈夫な気もしています。
そんなに、常に、何かを警戒して、冷静とパッションを操作しなくてもいい。
ちょっとした攻撃性なんて、いろいろ強い部分もある故に、出したところで負に飲み込まれがち。
・・・などと書いていると、
批評家さまとやらに、己に酔ってる人扱いもされそうですが、
構わないですし、救いも見出せそうではありそうで、光源0じゃないから、いいかな。
自由に書ける日記。楽しいです。
ねむいと、すごく子どもっぽくなるのが、自分でおもしろい。
自由自在な頭でっかちは、けっきょく成長していない子どもで、
まあ、男の人って、実際そんなもんな、気がします。出せる場所が、大事よね。
女の人には、絶対に、敵わない気が、します。
異性に媚を売ったところで、そろそろ、寝ます。
行きたいところ、したいこと、また話したい人、一緒にまたバカやりたい人。
欲求は多いのです。体感に勝るモノ無いです。こうしてキーボード叩くのも好きやけど。
それでは皆さま、さすがに今日はお付き合い下さってる方、少なそう。
まあいいや。
こんな綱渡りdailyでも、どうにかやってる人もいるんで、元気出して下さい。
出さなくてもいいです。おやすみなさい。
shatam