BBQパーティー

(All is a fiction) have a nice trip.

楽しくないのに楽しいフリをする(ASDタイプ人型の思考2)

楽しくないのに楽しい、フリをする
悲しいのに悲しくない、フリをする


そんな”パターン”で生きてきて、ようやく壊れつつある。
「誰だってそんなもん!生きる知恵っすよ!」 →私は、そのやり方しか知らない。ほぼ。

 

形だけ一般的な生活に戻ったことで、己の壊れっぷりを深く再認識。
(あと、慢性化しつつある体調の優れなさ。これ正直きつい。本当は、泣きたい)


本心を出す相手と場所が無い。
本心を出さな過ぎて、自分でも自分の本音が掴めない。


だから誰とも薄い関係やし、刹那的にしか生きれない・生きてる感覚も薄い。のかも。
だから本気で生きている他者を見て、己の虚しさに終わりにしたくもなる。のかも。


自分を隠し続けて選んだ強さなんて、要らない。
それは偽物のマッスル。いわゆる見せ筋。競技には、使えない。


だから、あんなに強いはずだったはずの自分が、こんなにも弱々しくなってしまたのかもね。
元の姿ってこと。何も鍛えられてない。虚勢を張っていた人間が去勢されてこのザマ。


表面的に良い方向に行けば行くほど、熱の通らない内部との温度差で、悲しくなる。
他者との生への熱量の対比しかり、誰とも結局本来の繋がりを持てないし、悲しい。泣きたい。


でも大丈夫。俺はそんなに弱くない。別に一人で生きようと思えば生きれる。
→また強がる。今まではそれで来れたけど、もう無理になってコレなんでしょ??


本当は、思いっきり泣いたり笑ったり、したいんだよね?

・・・おそらくね。もちろんたまにで。0/365→1/365でいい。


ではHowtoどのように出来るようになっていくか?
→歪な形だろうが、少しずつ他者の前で出すようにして、そこで揺れたものは専門家にでも話してみる。


ということだろうか? 他の選択肢もあるのだろうか?
わからない。わからないことは聞けばいい。ということを最近知りつつある。


でも、臨床心理士も担当スタッフさんも、今一つ信頼することが出来ない。
換言すれば、心を一時的にでも預けることが(誰にも)出来ない。今は。


それすら何故かと考えれば、期待外れの返答でがっかりしたくない。から?
「ええ、そうですよね。(それ、とっくに知ってる。模範的な回答なんて大体一瞬で思い付いてる)」


と思うならば、それすらも相手に伝えてみるのはどうか?
そこで相手がどのような反応、言葉を投げてくるのかは推測できない。それこそ人に依るだろう。


確実に言えるのは、こちらからの信頼だけでは無く、相手からの私への信頼には、多少なりとも繋がる。
本音を教えてくれない人なんて信頼出来ない。伝えなきゃ伝わらない。


一般人相手にそれを見せるのは、お互いにリスクが高いだろう。だから専門家を”使って”みる。
自己分析&自己解決出来たつもりのことも、解と計算式を見せ、正誤や感想を求めてみるのが良いのかも。


・・・そんな感じなのかなぁ。
いや、まさに本文を持ってすれば話は早いのかも。


そして多種の感情は、それぞれを出す場を別に設けると、いいのかもね。
しかし一人で喋ってても楽しいけど、それだけだと飽きるね。


絡み辛い人やもしれませんが、コメント等はいつでもalways喜びます。
ぽちっと押して下さる方ありがとう。いつも嬉しいです(悔しいけど)


それではまた。今日も、過ごします。
ほなね。

 

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