就労支援施設と私の発達障害
こんばんは。
就労支援施設への通所が始まっています。
当面の目的は、
週5の生活に再び体を慣らすこと、調子が優れないときなりの対人の在り方を学ぶこと。
今回の施設は
主に気分障害を患っている方のリワークなのですが、私の場合は厳密にはちょいと異なります。
「発達障害ベースの二次障害による”抑うつ状態×慢性傾向の身体症状”」
なのです。
けれども、掲げている目的に叶いそうな場所でしたので通所を決めました。就労時期は業種も未定です。
そして、発達障害(Asperger)とはされているのですが、
医師と臨床心理士曰く、4,5割程度の傾向であって、むしろ発達環境の因子が強い、そうです。
と言うのも、
幼少期の多くを辺鄙な地域で過ごし、同年代の子と触れ合う経験が著しく少なかったこと。
逆に、大人には言語の異なる方から様々接していたからか、現在においても対人はそう苦手ではありません。
ただ、疲れます。
Aspergerな方はいわゆるKYだと言われてしまうことが多いそうですが、
私の場合は空気読み過ぎちゃう感じ。むしろその人その場所に合わせるのは上手い方なのかも(ズレてるかもだけど)
ただ、だからこそ疲れてしまうのです。
無意識で相手の方に合わせた自分を作り、適しているだろう言葉のチョイスやトーンの選択。
それが当たり前の姿として今まではやってきたのですが、実は膨大なエネルギーを使っていた気がします。
前職は福祉系の仕事でした。
接する方に合わせた対応が自然に出来ることは、我ながら天職だと思っていました。
でも、振り返ればそれがアダになっていたのかな、なんて考えます。
一日40人くらいの方と接していて、ひたすら気配りな毎日だったので。
加えて持病の完璧主義のせいで、必要最低限の業務をこなすだけでは満たされなかったのです。
一人ひとりとなるべく密な関係性を作りたかったし、一つでも多くの安心と笑顔を引き出すYO!的な。
聞こえは良いのだけど、負担になって心身壊してしまったら、意味が無いよね。
調子が優れない多くの日も、ゼッコーチョーなときと同様に振舞ってしまっていたし。
あとは、なんて言うのだろう、幼少期から抱えてきたどこか満たされない気持ちを、
ひたすら仕事で満たそうとしていたことも、今思えば自分には適していなかったのかもしれません。
家に帰れば一人。落ち付かない休日。
家族や恋人がいても、どうして埋めきれない孤独感と自尊心。
いわゆるアダルトチルドレン的な要素も発達さんの上に強くあるような気がします。
やったら厳しい父とそれに従順な母。自由奔放な姉。基本放置される私。
幼少期はひたすら抑圧、その後はそれを引き摺りつつ、家庭内のバランサーとして振舞っていた感があります。
でもでも、親を恨むとか親のせいにするとかは、なんとなくピンとこなくて、
単純に今後は自分の人生を歩めばいいのかなーなんてある意味ではお気楽です。
・・・自分の人生ってなんなんだろう? 私は何がしたいの何を求めているんだろう??
本人よくわかりません。迷子気味です。
感覚的なことですが、私はあまり真剣に生きていない気がします。今までもずっと。
昔から他者との対比で感じること。生きている実感が希薄、なのかな。
うん。
今回通う施設の利用者さんは、各々お話を伺う中で、やはりとても生きている感じがします。
病によって、それぞれがきっと挫折を経験して、それでも立ちあがって前に進もうとする強さ。
ご立派だわぁ・・・と内心で感じます。ひしひし。
通所を続けていく中で、そのような生命感、人の強さみたいなもんをお裾分けしてもらう魂胆です。
先にも書いた通り、合わせて頑張らなくてもOKな対人の在り方も見付けるよ。
利用者さんの大半は30~40前後の大人な方、しっかりとした社会人経験のある方が多くて落ち付いた空気。
あとは皆さん基本優しいよね。スタッフさん含めて、世間のトゲトゲが見当たらない。
優しいから精神病んだのか、精神病んだから優しいのか。まあどちらでも良いですね。
どこにいても、どことないアウェイ感を感じて生きてきた私ですが、
比較的ホームよりな施設に巡り合えて良かったです。HOME&AWAYね。スポーツとかの。
そんなこんなで今日の日記はおしまいです。
また追って、
今までの経緯・発達さん的エピソードや内面の変遷などをいつか書くかもしれません。
そのときはまた、目を通して頂けたら嬉しいです。
乱文を失礼致しました。推敲しないで寝ちゃいます。
早いねそれではおやすみなさい。